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昨日の夜、とても腹が立つことがあって、グワ〜っとなったのだけれど、
ふと、しごく一般的に考えて、こういうことを言う大人や親はいないのではないか?と思った。

子どもだから、大人だから、その基準はどこにあるんだろう。

思うと、子どもだから許される、大人だからそこは我慢、ということが自分の中にない、自分の中に照らし合わせて同じように考えていることに気がついた。

子ども、大人、成人と未成人の年齢は法律では決められているけれど、
犯罪についての刑罰とかも決まっているけれど、子どもだから許されて大人は許されない、とか、
少年の心を持っているだとか、そういうことは不確かなことだ。

身体の成熟と未成熟、そして衰退はある程度の機能でわかるのだろうけど、精神(心)の成熟と未成熟はどこにあるのかな。。。

ということを、つらつらと考えていた時に、たどり着いたのは「経験値」と「想像力」

単純に長く生きている方が(もしくは、様々な経験をしている方が)、いろんな場面に遭遇している率が高ければ、どんなことをしたら相手が悲しむか、相手が喜ぶか、考えることができる。

ご飯を作る、洗濯をする、お風呂に入る、歯を磨く…そんな日常のことだって、経験なのだ、きっと。

経験値が高いから、年長者のいうことは参考になる。
経験値が低いから、人が悲しむこと、やってはいけないな〜という範囲が年若い子は広くて、時に人を傷つける。


そう考えたら、納得できる。
ただし、それは、若くても自分と違う経験をしていて、考えも深い子もいるから、年齢で計ってはいけない。
若くても、習熟している人もいるし、個性も感性もあるし。

でも、腑に落ちた。
自分は小学生だったし、中学生だったし、大好きなおばあちゃんはこの世にはいなくて夢に出てきて朝ビックリする。。。会えなくなって今年で20年だ。

そういうことだ。


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2013.05.25 / Top↑
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