■8月最初の方の朝は、窓から見る清々しさとちがって、空気がすでにぼわ〜んと暑い。
 アブラゼミの鳴き声が空気をビリビリ裂いて、その紙くずが重さと熱を溜めていく。

 朝の月は白く強く光って、夜を恋しがっている。
 太陽を連れてきた東の朝焼けだけが淡々としている。

 自分の中で、脂肪のように何かがたまって凝り固まって頭も硬くなって、それが原因で些細なことにもささくれだってしまっていたんだな〜と、散歩をして思う。

 もっと移動するべきだ。

■出不精なままどれくらいの月日が経ってしまったのやら、というのをスマホの記録を見て恐ろしくなる。

 今の1週間は1年以上に相当する。
 ふわっと会いに行って、ただ会いに移動すればいいだけだ。きっと。

 きっと「やあ」って笑ってビールを飲む。

■今年、数珠つなぎ的に、今まで機会を失って読んでいなかった「3月のライオン」を読んで、ダラダラ涙を流して、大人買いをした。

 お子さん達は、実家に帰ると「ドラえもん」「ちびまるこ」「ドラゴンボール」を読み、「海街diary」は映画の前から、「スラムダンク」、「3月のライオン」とマンガの英才教育を受けているようだ。

 間には、流行りの「アオハライド」とか「ダイヤのエース」とかも読んでいるらしい。

 今年の夏は手塚治虫とかベルバラとかにもたどり着くだろうか。

■最近、いろんなことが遠くなりすぎて、ますますよくわからなくなった。
 混沌、とか、困惑、とか、じゃなくて「わからない」

 先日プールで、三姉妹の真ん中らしい女の子(推定5歳)が、一人で♪もしもし亀よ〜 を歌いながら浮き輪をつけて、永遠プールの淵を伝っていた。

 長女と三女と戯れる母親は、監視員に注意をされて初めてその子に注意を向けた。

 遅れてきた父親は、なんてことなくその子に声をかけて、そしたらその子の表情が少しだけ変わった。

 親は、自分の子どものことを理解できると過信している。
 それは、なんか残念だ。

 ずっと♪もしもし亀よ〜 を歌って浮いている女の子、面白かった。
 何が見えてたのか、ただそれが楽しかったのか、プールが気持ちよくて頭にループしていたままに口ずさんでいただけなのか、ただ、それを見ているだけで面白かったから、ただそれだけでいいじゃん、と思った。

 その子に、ただ声をかけてくれる父親がいてくれてよかった。

 自分に何ができるのか、とか、全部理解できるはず、とか、過信してはならない。

 わからない、は、わからないまま、上等じゃないか。


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2015.08.04 / Top↑